い草職人の減少と藁職人との出会い-世界初い草の球体ができるまで-

中国産い草による代替
バブル景気をピークに住宅環境の変化に
飲み込まれ、安価・使い捨て・簡単便利などの
志向の変化に影響を受け、
フローリングと比較して手間がかかり、
コストがかかると思われるたたみは
まともに影響を受け急激に流通量を減らします。
そこに、中国でい草を栽培し
日本に輸出する商社が現れ、
い草の価値がますます低下していき、
たたみの需要が減る中で、
国産い草に中国製のい草が取って代るようになり
近年ではシェアは国産が20%に対して
中国産は80%にまでなり、
い草農家・たたみ店は減少し続けています。

い草の新しい形
今までに無いい草の価値観を
つくり作り出したい。
たたみとしてのいぐさではなく、
部屋に敷き詰めるだけの畳ではなく、
家の部屋や玄関宿泊施設のロビーや客室に
置いてもらい存在感をだし、
そこに目で見て、香りを嗅いで、
手で触れて感じてもらい、
そしてたたみの「居場所」を
新たに作りたいという思いから、
デザインしたのが球体でした。

い草職人の不在と新たな出会い
デザインは決まったもののい草の減少とともに
職人も減少しており、実際にサンプルを
作ってもらえるところがなく、
何件もお願いしては断られる日が続きました。
職人も減少しており、実際にサンプルを
作ってもらえるところがなく、
何件もお願いしては断られる日が続きました。
諦めず探し続けていた2020年5月のある日、
気になる藁細工保存会のホームページを
見つけすぐに連絡を取り、
経緯を説明しサンプルの依頼をしたところ、
偶然にも数日前に
気になる藁細工保存会のホームページを
見つけすぐに連絡を取り、
経緯を説明しサンプルの依頼をしたところ、
偶然にも数日前に
「藁の代わりにい草で作ってみたい」と
話題になっていたとのことで、
サンプル作成を快諾していただきました。
話題になっていたとのことで、
サンプル作成を快諾していただきました。

藁細工職人の現状
藁細工職人の酒井さんは、
長野県上伊那郡飯島地域を
盛り上げるためにイベントを考案し、
地元の名産品であるお米から取れる、
稲わらを使って米俵マラソンを企画し
盛り上げるためにイベントを考案し、
地元の名産品であるお米から取れる、
稲わらを使って米俵マラソンを企画し
準備を進めていました。
米俵は地元の農家さんにお願いすれば
米俵は地元の農家さんにお願いすれば
すぐに準備出来るものと思い、
近くの農家さんに米俵の話をされたところ、
米俵がすぐに用意出来るどころか、
作ることの出来る人すらいないこと、
近くの農家さんに米俵の話をされたところ、
米俵がすぐに用意出来るどころか、
作ることの出来る人すらいないこと、
農家さんから教えられます。
藁細工職人の少なさを知り、
自分で米俵を作ることを決意し、
藁細工職人の方に弟子入りすることに。
そこから自分の仕事を終えてから
藁細工職人の方に弟子入りすることに。
そこから自分の仕事を終えてから
藁細工職人の方のところに通い
米俵づくりの技術を習得されていきました。
米俵づくりの技術を習得されていきました。

大相撲本場所の米俵に
藁細工を米農家さんの閑散期に行う
仕事ではなく、年間通じて仕事として確立し、
後継者を育成することを目標に
藁細工保存会を立ち上げられました。
藁細工保存会を立ち上げられました。
職人を育て事業として
成り立たせることに注力され、
今では30名もの藁細工職人を志す人たちを
今では30名もの藁細工職人を志す人たちを
抱えるまでになりました。
酒井さんの技術は、日本相撲協会にも認められ
年間6場所ある大相撲の本場所での
土俵に使われる米俵も任されています。
その他、相撲部屋での土俵や
酒井さんの技術は、日本相撲協会にも認められ
年間6場所ある大相撲の本場所での
土俵に使われる米俵も任されています。
その他、相撲部屋での土俵や
巡業の土俵にも携わられています。

本場所の次は世界初に
そんな酒井さんとの出会いにより、
藁での試作と同時にい草を
藁での試作と同時にい草を
送り手始めに縄を綯ってもらい、
硬さ、太さ、曲げ伸ばしのしやすさなど
硬さ、太さ、曲げ伸ばしのしやすさなど
藁とい草の違いを感じてもらい、
い草で球体を試作してもらいました。
い草で球体を試作してもらいました。
初めてサイズで球体を作成するとあって、
試作は想像以上に難しく、うまくいかず、
予定よりも作成に時間を要しました。
すべて勘と経験で
依頼の球体の大きさをイメージし
角度を決めて編み上げていくという
日本産のい草で、完全手作りの
角度を決めて編み上げていくという
日本産のい草で、完全手作りの
い草の球体が完成しました。